“屈原”

令和8年5月

緑陰眩しい立夏を迎え薫風の心地よい季節となりました。

今月も日の本に存在する多くの伝統行事が執り行われ、長い連休も絡み、世代を乗り越えた絆で歴史や文化の重要性を改めて感じ入ることができます。

なかでも“端午の節句”は代表的な日本の行事ですが、この行事の由来を深掘りしていくと、決して男の子、男性に限らないということが分かります。

人と人との関わりから民族的意識が右往左往に影響し、良くも悪くもその時代の特徴や背景を支配していくということ、そして今の時代に共通するいくつかの出来事は2,500年前にも存在し、何度も同じような歴史が繰り返されているということです。

お題の“屈原”とは2,500年前、中国“楚”の名門一族の政治家で有徳な為政者でもあったため民に慕われていました。しかし、楚の懐王への忠言が聞き入られず失意し、追放されて湘江の淵を彷徨っていたところ、漁夫に遭遇しました。このエピソードは中国の詩経『楚辞』にございます。

漁夫は立派だった屈原が落ちぶれてしまったことを憂い、世の中と一緒に移り変わることを進言します。(※與世推移)

しかし屈原は、世の中がどんなに濁り酒で酔っていようとこの身を世俗の汚れに染めることはできまい・・・と五月端午の日に汨羅江へ身を投げたのでした。

清廉潔白でありながら不遇の人生を送った為政者は屈原以外にも数多く存在します。日本では菅原道真や小野篁が有名ですが、果たして彼らのような至誠通天を信じて生きることと、漁夫のように“世と推移せよ”と曲則全に生きること、今の時代に置き換えたらどのように生きるべきかと大変複雑な心境に駆られます。儒家思想と老荘思想の鬩ぎ合いのような葛藤ですが、長い年月と共に繰り返される歴史を経た現代ではこの二つの意味を上手に理解し、行動に移せることが求められるのかもしれません。

AIが急速に高度化する世の中で、生き方の目利ができるような成長が各々必要となる時代が到来したように思います。

嘗て千宗旦が山田宗徧に“印可の文”を授けられました時、このように仰せでございました。

“茶の湯は古いものと今のものの良いところを学ぶことが大切である。その良い所を探る目利を養いなさい。”と

茶道は人生を豊かにする一助となります文化であることを誇らしく思っております。