“夢見草”

令和8年4月
春霞も束の間、最近の気候は温暖化が進んでいるせいか、桜の開花も早く、時折日差しから初夏を思い起こすほど勢いづいた眩しさを感じます。
年の瀬から正月にかけて日本の風情を一番心地よく味わう季節は、寒さと引き換えに、これから訪れる春を微かに想い起こし、厳しい寒さに耐え忍ぶ梅の花を謳ったものが和歌などに数多くあります。
近年梅の花を愛でる時期があまりにも短く感じられるのは、茶道を嗜む私だけではないかと想像いたします。
とは言うものの、桜といえば、咲き始めの頃、満開の頃、そして散り際の頃も美しく、因んだ言語や古典和歌、能の演目も実に多いことはご周知の通りです。
江戸時代に入りまして、国学者の本居宣長は
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」と謳っております。
山桜の控え目で純粋な美しさを日本の古の道と喩えた大和魂を称賛したものです。

また、一休宗純の言葉で「花は桜木、人は武士」
これは桜の花が美しく咲いている期間が短く、そして潔く散っていくことが、死を恐れず仁儀を全うする武士の生き様を日本の美意識として残された諺です。
夢のように美しいまま儚く散る姿が正に夢見草の由来。
茶道を含めて日本に残された伝統文化にはその道に携わる長い道のりに“お稽古”があります。研究者の話によると、お稽古の本来の意味は、単なる練習ではなく、古の道を考え、古の道に従うと云うことだそうで、これは儒家の経典『書経』に記されているそうです。
時代の急激な変化により、多種多様な情報や話題から物や思想が満ち溢れ混乱を招きやすい現世であるからこそ、今一度“古の道”に携わることにより、古来立派な君主やお手本となる先人達から本来持つべき人としてのあり方や行いを尊び学ぶことが大切な時代が来ていると想う朧月夜でございました。


